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シンキロウ

原作:芥川龍之介 2017.9.15.16.17

 

演出,脚本:片岡真優

出演:乾真裕子/坂口円香/中西真穂

音:藤野真也(F.)

美術:住吉美玲

演出助手:髙木優希

制作:寺﨑真初

撮影:郷田いろは/野口翔平

於:王子スタジオ1

芥川が自殺する半年前に書いた短篇小説「蜃気楼」を土台にした脚本を上演します。明確なすじや終わりがない、ぼんやりとした印象の小説なのですが、鮮明に印象や風景を届ける言葉の使い方がされています。 小説で、読む行為を前提として完成されている言葉を上演するときどう扱えばいいのかということを、明確なビジュアルや具体的な“誰か”の声、のように焦点を絞った物語を提供するのではない、「解像度の低い共有体験としての演劇」というキーワードを掲げて制作しています。 演劇は実体の現前性と発語される言葉の芸術だと思っています。今回は小説を上演するので、言葉に対する「読む」という向き合い方と「聞く」という向き合い方が違うということに意識を向けています。小説は読むことを経て体験が完了するように書かれているので、それを上演するとき言葉の担う役割が違ってくるはずだと思ったからです。 小説は、言葉と、読んでいく行為とで読者に虚構の風景や人物、現象を提供します。つまり、作品と読者との関係は言語コミュニケーションで完結していて、非言語コミュニケーションが含まれていない状態です。コミュニケーションとして完全ではありません。そのため、読者は不完全な部分を、想像することで補うことができます。その点では演劇と比べて小説の方がより鑑賞に自由があると言えます。 演劇は非言語コミュニケーションの部分も(例えば)音楽、照明、演技といった演出によって補完しようとしています。演劇はそこを完全な手放しの状態では現していません。 ですが、それは必ずしも鑑賞体験の幅を狭める訳ではないと思います。演出は、鑑賞者を導くと同時に、思いもよらなかった範囲にまで視野を広げることができるのではないかと思っています。 言語と非言語との距離を空けたり詰めたり、とても離れたところにコミュニケーションを補完する要素を配置してみたり、そういうことが自在にできる演劇を作っています。

 

園 主宰 片岡真優

「芥川が自殺する半年前に書いた」という事実と、「解像度の低い共有体験としての演劇」という部分に注目して音の制作を行った。

はっきりした音階を用いづにパッド音やグライドを多用した。そうする事で解像度の荒さやカメラのフォーカスが合わないような曖昧さ、精神状態の不安定さや海沿いの湿度を表現した。本番ではポンだしだけでなくライブ演奏に近い感覚でリアルタイムに和音やタイミングの調整をAbleton liveを用いて行った。

​音:藤野真也(F.)

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